来歴・人物 [編集]
1969年青土社創業とともに入社、『ユリイカ』創刊に参画。1972年より『ユリイカ』編集長となる。1975年より『現代思想』編集長。1982年退社。文芸評論家となり、『メランコリーの水脈』でサントリー学芸賞を受賞。
岸田秀を発掘、また柄谷行人とも親しく、『現代思想』の編集長として、日本の「ニューアカ」ブームの火付け役となり、多くの若い書き手に活躍の場を与えた。その後柄谷からは離れたが、2009年まで編集していた雑誌『大航海』などを通じ、文芸・思想のみならず社会科学やサイエンスに至るまで、多方面との知的交流を繰り広げている。
コロンビア大学客員教授などを経て、現在、新書館編集主幹、『ダンスマガジン』編集長。2004年より、立教大学大学院文学研究科比較文明学専攻特任教授。 毎日新聞の書評を担当している(同紙では書評委員といわない)。
妹は作詞家の三浦徳子。
受賞・叙勲歴 [編集]
- 1984年、第6回サントリー学芸賞(『メランコリーの水脈』)
- 1991年、第29回藤村記念歴程賞(『小説という植民地』)
- 1996年、第47回読売文学賞(『身体の零度』)
- 2002年、芸術選奨文部科学大臣賞・第13回伊藤整文学賞(『青春の終焉』)
- 2010年、紫綬褒章受章
著書 [編集]
- 私という現象 同時代を読む 冬樹社 1981年 のち講談社学術文庫
- 幻のもうひとり 現代芸術ノート 冬樹社 1982年
- 主体の変容 現代文学ノート 中央公論社 1982年 のち文庫
- 夢の明るい鏡 編集後記集1970.7~1981.12 冬樹社 1984年
- メランコリーの水脈 福武書店 1984年 のち文庫、講談社文芸文庫
- 自分が死ぬということ 読書ノート1978~1984 筑摩書房 1985年
- 寺山修司 鏡のなかの言葉 新書館 1987年
- 死の視線 '80年代文学の断面 福武書店 1988年
- 疑問の網状組織へ 筑摩書房 1988年
- 小説という植民地 福武書店 1991年
- 幻のもうひとり 冬樹社 1991年
- 身体の零度 何が近代を成立させたか 講談社選書メチエ 1994年
- バレエの現代 文藝春秋 1995年
- 考える身体 NTT出版 1999年
- バレエ入門 新書館 2000年
- 批評という鬱 岩波書店 2001年
- 青春の終焉 講談社 2001年
- 村上春樹と柴田元幸のもうひとつのアメリカ 新書館 2003年
- 出生の秘密 講談社 2005年
- 漱石 - 母に愛されなかった息子 岩波新書 2008年
- 人生という作品 NTT出版 2010年