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『遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。 遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。 この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきなのかも知れない。 祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。』~白川 静~ あしうゆぎょう。芦生の森に魅せられて游行十余年。憂き世の枝がらみに行く手を阻まれ、出游もままならぬ昨今、靄の揺蕩う静謐の杜を借景として、つれあいとの過ぎし愉悦の時どきを想念の裡に明滅させつつ、 こころ時めく折々の出会いを気儘にクリップしていきます。