『遊ぶものは神である。神のみが、遊ぶことができた。 遊は絶対の自由と、ゆたかな創造の世界である。それは神の世界に外ならない。 この神の世界にかかわるとき、人もともに遊ぶことができた。神とともにというよりも、神によりてというべきなのかも知れない。 祝祭においてのみ許される荘厳の虚偽と、秩序をこえた狂気とは、神に近づき、神とともにあることの証しであり、またその限られた場における祭祀者の特権である。』~白川 静~ あしうゆぎょう。芦生の森に魅せられて游行十余年。憂き世の枝がらみに行く手を阻まれ、出游もままならぬ昨今、靄の揺蕩う静謐の杜を借景として、つれあいとの過ぎし愉悦の時どきを想念の裡に明滅させつつ、 こころ時めく折々の出会いを気儘にクリップしていきます。
2011-04-21
2011-04-07
吹き矢
プナン族は、以前にも紹介しましたが、採取狩猟民族です。男達は、朝早くから狩猟に出かけます。方法は?「コラプット」と呼ばれる吹き矢を使います。
この矢の先に毒が塗られていて、命中したらどんな動物でも死にます。この吹き矢を吹く吹き筒を作るのには、とても大変です。素材になる木は、「マングリース」や「ベリアン」と呼ばれる硬い材質のものです。直径は少なくとも1m以上で実際に必要なのは、木の中心部です。素材は、木が大きければ大きいほど、硬ければ硬いほど良いとされています。これを2週間もかけて中央に穴を開け、周囲を削いでいき、握り口の方が太く先端に行くほど細くなるように仕上げます。そしてヤスリがけをしますが「ウディムダン」と呼ばれる樹木の葉でします。この葉の裏には硬くて小さいトゲが無数に付いていてちょうど紙ヤスリの代わりになります。この筒に反りがある場合には、立ち木に数日間くくりつけ慎重に反りを直していきます。
最後には、この吹き筒の先端に「パロー」と呼ばれる菱形の小刀を付けます。吹き筒は長ければ長いほど、正確で威力が増しますが、それだけ肺活量と支える腕力が要ります。だから、女性や子供は、全長1m未満を使います。
吹き矢の先に塗る毒は、「タジャム」と呼ばれていて、ツル性植物のイポーの樹液から作られます。このイポーの幹の部分を削って細かく砕いて出て来た白い液を煮詰めて黒いタール状になると出来上がりです。イポーの樹液は、アンチアリンと呼ばれる成分が含まれており、心臓の働きを麻痺させる効果があります。プナン族もこの毒に対する解毒方法を知らないので、もし誤って刺してしまったら、その部分を素早く切り落とすしかないのです。だから、どこのラミンでも子供のての届かない高い所に置いています。
矢は、狙う獲物によって使い分けがされています。鳥やイタチなどを狙う時は、「タハッ」と呼ばれる一本の真っ直ぐな矢です。大きなものは、「ブラッ」と呼ばれる矢で、刺さった後簡単に抜けないように先端に引掛り鍵が付けられています。矢の後ろには「プノ」と呼ばれる植物が吹き筒の太さに合せて風圧受けとして付けられています。この矢の先端部分に意図的5ミリおきに小刀で切り込みを入れています。なぜなら、矢が命中した動物が逃げる時、矢が折れやすくするためです。毒の塗られた矢の先が獲物の身体に確実に残すためです。
プナンの男達は、吹き矢を二、三十本、竹筒に入れて腰にぶら下げて狩に行きます。狩は大変な体力と集中力を要します。一番重要な事は、自分の姿を相手に悟られないように見つけて近づく事です。狩ができるか出来ないかの術です。プナン族は、獲物が出没している場所をよく知っています。この場所にさしかかると足音を立てずに辺りを窺がいながらゆっくり歩きます。狩の達人が「目で見ようと思うとだめです。風の音、木が揺れる音を聞くことが大事です。耳をすませば獲物の方から、私はここにいますよと教えてくれます。」と語りました。
カリマンタン島の原住民はダヤク人と総称されるが、その中でも「プナン(Punan)族」は特異
な存在の狩猟採取民である。ダヤク人の支族ではなく別系統の民族という説もある。彼等の居
住地はインドネシアとマレーシアの東北寄りの国境の山中にある
住地はインドネシアとマレーシアの東北寄りの国境の山中にある
農耕を一切行わない狩猟民である彼らはスンピットorコラプットという吹き矢による狩猟と採
集で生計を立てている。吹き矢は約2mの長い木の筒の端を口で吹くと筒の先からから10cm
の矢が飛び出す。30m離れた樹上の鳥を射落とすことができる。
集で生計を立てている。吹き矢は約2mの長い木の筒の端を口で吹くと筒の先からから10cm
の矢が飛び出す。30m離れた樹上の鳥を射落とすことができる。
吹き筒はウリン(→058)という硬い木の中心部分を使用する。中をくり貫くには鉄製の刃物を
台に置き、台の上でぐらつかないように固定したウリンの棒をゆっくり回転させながら少しずつ
削っていく。能率が良いとは思わないが、鉄以前の石器でやっていた当時の苦労は推して知る
べしである。ウリン製の吹き筒はかなり重いので支えるのに体力を要し、ジャングルを持ち歩く
不便である。
台に置き、台の上でぐらつかないように固定したウリンの棒をゆっくり回転させながら少しずつ
削っていく。能率が良いとは思わないが、鉄以前の石器でやっていた当時の苦労は推して知る
べしである。ウリン製の吹き筒はかなり重いので支えるのに体力を要し、ジャングルを持ち歩く
不便である。
矢は小さいがイポーという蔦の樹液から採取した毒が塗ってある。アンチアリンという成分が
含まれており心臓の働きを麻痺させる効果がある。解毒手段がないので矢は子供などの手に
触れないように厳重に保管される。
含まれており心臓の働きを麻痺させる効果がある。解毒手段がないので矢は子供などの手に
触れないように厳重に保管される。
イノシシのような大きな獲物は死ぬまで30分~1時間かかる。吹き矢の先の槍はその際の武
器である。狩猟には犬も使う。
器である。狩猟には犬も使う。
プナン族はキャンプしながら移動する。バンドといわれる血縁関係の3~7家族で行動をとも
にする。組み合わせは不規則でバンドのメンバーは随時、入れ替わる。住居は小川のほとり
に野営地を設ける。立ち木を利用した高床式のラミンという小屋である。数日の雨露をしのぐ
ためだけの壁もない簡単なものである。衣類は下半身に木の皮で作られた褌(ふんどし)か腰
巻きをつけるだけである。
にする。組み合わせは不規則でバンドのメンバーは随時、入れ替わる。住居は小川のほとり
に野営地を設ける。立ち木を利用した高床式のラミンという小屋である。数日の雨露をしのぐ
ためだけの壁もない簡単なものである。衣類は下半身に木の皮で作られた褌(ふんどし)か腰
巻きをつけるだけである。
ダヤク人と比較するとプナン族は色が白く容貌からは日本人や中国人と見間違うくらいであ
る。ジャングルの中を彷徨(ほうこう)しているため日に当たらないためらしい。プナン族の定着
化政策で子供を学校に入れたら運動場で日射病で倒れたという話がある。
る。ジャングルの中を彷徨(ほうこう)しているため日に当たらないためらしい。プナン族の定着
化政策で子供を学校に入れたら運動場で日射病で倒れたという話がある。
自給自足の生活であるが、鉄器と塩は外部か入手せざるをえない。ケニヤ族、カヤン族と不
即不離の関係を保ち外部との接触を保っている。鉄器と塩、あるいは布のために交換のため
樹脂、沈香、燕の巣、砂金を採取する。籐製のマットが唯一の製品である。
即不離の関係を保ち外部との接触を保っている。鉄器と塩、あるいは布のために交換のため
樹脂、沈香、燕の巣、砂金を採取する。籐製のマットが唯一の製品である。
プナン族はカリマンタン島の中では最も未開の部族である。このため森林伐採、ダム建設な
ど押し寄せる文明化の波に最も脆い。開発のより進んでいるマレーシアのサラワク州の環境
破壊がプナン族の桃源境を脅かすという形で問題提起されている。
ど押し寄せる文明化の波に最も脆い。開発のより進んでいるマレーシアのサラワク州の環境
破壊がプナン族の桃源境を脅かすという形で問題提起されている。
インドネシアもマレーシアもプナン人を定着させようとしている。国民にあまねく文明の恩恵を
施すという国家的善意の発露からである。しかしプナン族を追い出さないとNGOが煩くて森林
伐採やダム建設がやりにくいという不純な動機が潜んでいないとはいえない。
施すという国家的善意の発露からである。しかしプナン族を追い出さないとNGOが煩くて森林
伐採やダム建設がやりにくいという不純な動機が潜んでいないとはいえない。
猟犬に襲われたイノシシを、ハンターが山刀(malat)で叩き殺すのを見たことがある。猟犬をつかった狩猟の場合、吹き矢(keleput)の先の鉄製の槍(ujep)で、止めを刺す。そのようにして、獲物に接近した場合、吹き矢の先についている槍で殺す。それに対して、通常、獲物との距離がある場合、吹き矢を吹き、矢を飛ばして、獲物を射る。それが、プナンの標準的な狩猟法である。地上40メートルほどのところにいるサル類を射るのにも、地上のイノシシやシカなどを狙うのにも、吹き矢が使われる。矢(taat)には、一般に、植物毒(ipoh)が塗られる(写真参照)。イノシシ猟では、植物毒とヘビの毒など、5種類の毒(tajem)を混ぜた毒矢が使われる(belat)。カールトン・スティーヴンズ・クーンの『世界の狩猟民』(法政大学出版局)という新刊書を読んでいる。道具としては、棍棒、槍、投槍器、弓矢および毒矢、囮などを用いる狩猟民のさまざまな狩猟法が紹介されているが、残念ながら、プナンが用いるような吹き矢猟については記述がない。ボルネオの先住民のなかで、吹き矢を用いるのは、プナンだけではないだろうか。他の焼畑民たちは、猟犬を用いて、槍で獲物を狩ってきたのではないだろうか。現在、プナン以外の周辺の焼畑民は、銃をもって猟に行くのがふつうである。プナンには、神話で語られるように、最初、吹き矢があって、犬がいなかったと考えられる。いずれにせよ、吹き矢は、ボルネオの狩猟民の特徴的な狩猟具である。吹き矢があれば、猟犬がいなくても、獲物を狩ることができる。いったいどのようにして、プナンは、槍が先に付いた、このユニークな吹き矢という道具を手に入れたのであろうか。
ムルのフタバガキの森にはプナン族と呼ばれる狩猟民が暮らしている。 彼らの武器は、吹き矢。裸足で音もなく近づき、的確に獲物を射抜く。 98年は、プナン族のカトンさんというハンターがCAMP1に同行してくれた。。 吹き矢の試し撃ち。 見事にリンゴを打ち抜いた。 |
吹き矢を使い様々な動物を狩る。
矢には毒が付いていて大きな獲物も倒すことができる。
- プナン-ボルネオ最期の狩人 -
- Hunters and Gathers・・・PENAN -
- Hunters and Gathers・・・PENAN -
狩猟は大変な体力と集中力を必要とする。獲物を見つけたら自分の姿を悟られないように近づき狙いを定め矢を放つ。放たれた矢の威力は大変強く、もしも十数メートルの至近距離から吹いたら獲物の体に十数センチの深さまで到達する。また熟練した狩人なら十数メートル離れた場所から小鳥を射落とすこともできるという。とれた獲物は各世帯で均等に分配される。
民族名 | プナン族 |
英語名 | Penan、Punan |
人口 | 約1千人(推定) |
下分類 | プナン・ブサン族など、数民族 |
他国の同族 | インドネシア中央カリマンタン州:1万2千人(推定) |
居住地 | ボルネオ島サラワク州中央部丘陵地帯のジャングル |
言語 | プナン語?(南東語族(オーストロネシア語族)のインドネシア語派) |
生業 | 採集(果物、サゴヤシ、籐) |
漁業(河川魚) | |
狩猟(吹き矢、ヤリによる:いのしし、鹿、猿) | |
交易(動物の角、籐製品などと、鉄製品、綿布などとの交換) | |
主食 | 動物? |
酒 | ? |
工芸 | 籐製品 |
服装、装飾 | 女性は、腰巻、男性は、ふんどし。 男女とも、腕輪、首輪を身につけている。 |
住居 | 移動生活のための、簡単な小屋 |
社会組織 | 20~75人くらいの移動集団の社会 |
友好 | 狩猟採集の生活を続けながらも、近隣の農耕民族とは、交易を通じ、 長い間、友好関係を築いてきた。 |
信仰 | 精霊信仰 キリスト教も多いらしい。 |
闘争 | 森林破壊から、ジャングルを守るために闘争を続けている。 |
祭 | ? |
2011-04-03
ハイドン ( Franz Joseph Haydn )
鍵盤楽器のための小品全集 バルト・ファン・オールト(5CD)
モーツァルトの鍵盤楽器のための作品全集(14枚組)が評判となったオランダのフォルテピアニスト、バルト・ファン・オールトによるハイドンのピアノ小品全集。小品集といっても、大曲『十字架上のキリストの最後の7つの言葉』や、交響曲の楽章の編曲といったものも含まれており、内容は実に多彩です。
2000年に、ホーフランド、小島芳子、福田理子、デュチュラーら5人と録音したピアノ・ソナタ全集ではCD2枚分10曲を受け持っていましたが、今回は一人で残りの小品全部をレコーディング。
楽器は、モーツァルト全集でも大活躍していたアントン・ヴァルター1795年モデルを使用しており、モーツァルトのときと同様、抑揚大きく表情豊かな演奏により、フォルテピアノ演奏にありがちな脆弱さや朴訥な印象を回避し、ハイドン本来のエネルギーをよくあらわしていると思います。
オールトは、アムステルダム王立音楽院でピアノを修了したのち、同音楽院で有名なスタンレイ・ホーフランドにフォルテピアノ奏法を師事、1986年にベルギーの「モーツァルト・フォルテピアノ・コンクール」に優勝して名声を得ますが、その後、名門コーネル大学で、マルコム・ビルソンのもと歴史的演奏実践における研究をこない、1993年に博士号を取得、高度な技術と豊かな学識の両面を備えたフォルテピアノ奏者&音楽学者として世界中で活躍することとなります。
レコーディングには、ブリリアント・レーベルから発売されている、モーツァルトの鍵盤楽器のための作品全集(14枚組)が代表作として知られるほか、フィールド、ショパンほかの作品を時代楽器で再現した「ノクターンの世界」が隠れた人気作として注目を集めており、さらに、彼が所属するファン・スヴィーテン・トリオのハイドン・ピアノ・トリオ全集や、ホーフランド、デュチュラー、小島芳子、福田理子らと分業で完成したハイドン:ピアノ・ソナタ全集、寺神戸亮、鈴木秀美と共演したベートーヴェン&フンメルのピアノ・トリオ集、テル・リンデン、フェルハーヘン、ルーロフスと共演したモーツァルトのピアノ四重奏曲集などがあります。
2000年に、ホーフランド、小島芳子、福田理子、デュチュラーら5人と録音したピアノ・ソナタ全集ではCD2枚分10曲を受け持っていましたが、今回は一人で残りの小品全部をレコーディング。
楽器は、モーツァルト全集でも大活躍していたアントン・ヴァルター1795年モデルを使用しており、モーツァルトのときと同様、抑揚大きく表情豊かな演奏により、フォルテピアノ演奏にありがちな脆弱さや朴訥な印象を回避し、ハイドン本来のエネルギーをよくあらわしていると思います。
オールトは、アムステルダム王立音楽院でピアノを修了したのち、同音楽院で有名なスタンレイ・ホーフランドにフォルテピアノ奏法を師事、1986年にベルギーの「モーツァルト・フォルテピアノ・コンクール」に優勝して名声を得ますが、その後、名門コーネル大学で、マルコム・ビルソンのもと歴史的演奏実践における研究をこない、1993年に博士号を取得、高度な技術と豊かな学識の両面を備えたフォルテピアノ奏者&音楽学者として世界中で活躍することとなります。
レコーディングには、ブリリアント・レーベルから発売されている、モーツァルトの鍵盤楽器のための作品全集(14枚組)が代表作として知られるほか、フィールド、ショパンほかの作品を時代楽器で再現した「ノクターンの世界」が隠れた人気作として注目を集めており、さらに、彼が所属するファン・スヴィーテン・トリオのハイドン・ピアノ・トリオ全集や、ホーフランド、デュチュラー、小島芳子、福田理子らと分業で完成したハイドン:ピアノ・ソナタ全集、寺神戸亮、鈴木秀美と共演したベートーヴェン&フンメルのピアノ・トリオ集、テル・リンデン、フェルハーヘン、ルーロフスと共演したモーツァルトのピアノ四重奏曲集などがあります。
CD1
・12の変奏曲Hob.XVII-3
・アンダンテと変奏曲Hob.XVII-6
・20の変奏曲イ長調Hob.XVII-2
・4つの変奏曲Hob.XVII:Anhang
・5つの変奏曲Hob.XVII-7
・6つの変奏曲Hob.XVII-5
CD2
・12のメヌエットHob.IX-8
・12のメヌエットHob.IX-3
・12のメヌエットHob.IX-11
・行進曲Hob.VIII-2
・王立音楽家協会のための行進曲Hob.VIII-3bis
・12のドイツ舞曲Hob.IX-12
・コントルダンスHob XXXIc/17b
CD3
・幻想曲Hob.XVII-4
・アダージョHob.XVII-9
・カプリッチョ『8人のへぼ仕立屋』Hob.XVII-1
・ピアノ・ソナタ ニ長調Hob.XVII-D1
・ピアノ・ソナタ ヘ長調Hob.XVII/a:1(4手のための:withシルヴィア・ベリー)
・メヌエットとアリアHob.IX-20
CD4
・音楽時計のための作品より
・交響曲第81番第2楽章 Andante
・交響曲第79番第2楽章 Adagio
・交響曲第85番第3楽章 Menuetto
・交響曲第85番第2楽章 Rondo. Andante allegretto
・交響曲第53番第2楽章 Andante
・交響曲第93番第2楽章 Adagio
・交響曲第97番第3楽章 Menuet
・交響曲第94番『驚愕』第2楽章 Andante
・歌劇『変わらぬ誠』からの編曲集
・弦楽四重奏からの編曲集
・ピアノ三重奏曲からの編曲集
CD5
・十字架上のキリストの最後の7つの言葉(ピアノ版)
バルト・ファン・オールト(フォルテピアノ)
アントン・ヴァルター1795年モデル(クリス・メーネ2000年製作)
録音:2007年(デジタル)
・12の変奏曲Hob.XVII-3
・アンダンテと変奏曲Hob.XVII-6
・20の変奏曲イ長調Hob.XVII-2
・4つの変奏曲Hob.XVII:Anhang
・5つの変奏曲Hob.XVII-7
・6つの変奏曲Hob.XVII-5
CD2
・12のメヌエットHob.IX-8
・12のメヌエットHob.IX-3
・12のメヌエットHob.IX-11
・行進曲Hob.VIII-2
・王立音楽家協会のための行進曲Hob.VIII-3bis
・12のドイツ舞曲Hob.IX-12
・コントルダンスHob XXXIc/17b
CD3
・幻想曲Hob.XVII-4
・アダージョHob.XVII-9
・カプリッチョ『8人のへぼ仕立屋』Hob.XVII-1
・ピアノ・ソナタ ニ長調Hob.XVII-D1
・ピアノ・ソナタ ヘ長調Hob.XVII/a:1(4手のための:withシルヴィア・ベリー)
・メヌエットとアリアHob.IX-20
CD4
・音楽時計のための作品より
・交響曲第81番第2楽章 Andante
・交響曲第79番第2楽章 Adagio
・交響曲第85番第3楽章 Menuetto
・交響曲第85番第2楽章 Rondo. Andante allegretto
・交響曲第53番第2楽章 Andante
・交響曲第93番第2楽章 Adagio
・交響曲第97番第3楽章 Menuet
・交響曲第94番『驚愕』第2楽章 Andante
・歌劇『変わらぬ誠』からの編曲集
・弦楽四重奏からの編曲集
・ピアノ三重奏曲からの編曲集
CD5
・十字架上のキリストの最後の7つの言葉(ピアノ版)
バルト・ファン・オールト(フォルテピアノ)
アントン・ヴァルター1795年モデル(クリス・メーネ2000年製作)
録音:2007年(デジタル)
ハイドン/十字架上のキリストの最後の7つの言葉
インマゼールの弾くハイドンの「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」のCDを、先日ふと立ち寄ったショップで見つけました。1994年にChannelClassicsに録音したもので、最近、都内のショップではほとんど見たことがなかったので、狂喜乱舞して購入しました。この曲のピアノ版に関しては、Brilliantから出ているオールト盤を聴いてとても楽しみましたから、私の大好きなインマゼールの演奏が聴けるとあって期待に胸ふくらませて聴きました。
楽器のせいもあるのでしょうが、オールトの演奏が一貫して穏やかであたたかい響きを大切にしながら演奏していたのに比べ、インマゼールの演奏は、より音色の変化に富んだものであることにまず耳を奪われます。特にモデレートペダルを使った弱音の扱いは舌を巻くほど巧みで、フォルテピアノという楽器の特性を十全に生かしきった演奏になっているあたりはさすがです。例えば、5番目のソナタ「成し遂げられた」では、静謐な幸福感に溢れた感情がじわじわと伝わってくるようで、この曲がもともと、あくまで静かな祈りの儀式に用いられる音楽として書かれたことを思い起こさせてくれます。そして、音楽の持つ微妙な味わいや陰影がはっきりと耳で感じ取れるインマゼールの演奏からは、「受難」さえも乗り越えることのできた大きな慈愛に満ちたイエス・キリストその人の静かな言葉が聴き取れるような錯覚さえ覚えます。そのあたりは、鄙びた教会の壁画で受難の場面が描かれた宗教画を見るような佇まいをたたえたオールト盤とはまったく味わいが異なっていて、この曲のまた違う魅力を垣間見ることができるような気がします。最後の「嵐」での凄まじい打鍵もとてもスリリングで聴きもので、1時間近い大曲をまったく退屈せずに楽しむことができました。期待以上に素晴らしい演奏だと私は思います。
来月のインマゼールの東京公演での「十字架」、聴きに行けるかどうか微妙な状況なので、せめてこのCDを聴けただけでも良しとしようかと思っています。勿論、このCDの録音から15年の年月を経た2009年のインマゼールが、どんな演奏をするかとても興味があるのですが・・・。
今年の3月に、私の大好きなインマゼールが単身来日します。私が、地理的に聴きに行けそうかなと思うのは、トッパンホールでのハイドン・プログラム。でも、ハイドンの鍵盤楽曲というのはほとんど聴いたことがないし、メインの「十字架上のキリストの7つの言葉」は以前弦楽四重奏版で聴いて退屈した記憶があって、行って楽しめるかどうか不安で、まだチケットを買っていません。
ではそれならば、「7つの言葉」のフォルテピアノ版をいっぺん聴いてみて、それから行くかどうか判断したいと思っていたところ、お誂え向きに、ブリリアントレーベルからこの曲を含む「ハイドンの鍵盤楽器のための小品全集」という5枚組の最新録音セットが格安で出てました。Channel Classicsのインマゼール自身の録音が入手困難な状況なので、早速購入して聴いてみました。演奏は、ブリリアントからいくつかのディスクが出ているバルト・ファン・オールトです。
まず、私が以前どうしてこの曲に退屈したか、その理由はよく分かりました。その当時、私は「十字架上のキリストの言葉」というタイトルから、それこそバッハのマタイ受難曲のようなドラマティックで悲痛な音楽を想像していたのに、この曲は延々と穏やかで静かな音楽が繰り広げられている(最後の「地震」のみは激しい曲ですが)ので、どうにも感情移入できずに持て余してしまったのでした。
しかし、自分がある程度歳を重ねたからなのでしょうか、この音楽の、何ともゆったりとしたまるで日向ぼっこでもしているようなあたたかさを楽しむことができましたし、静謐な音楽の中から立ち昇る「言葉」の気配も感じられたように思います。例えば、第6のソナタ「成し遂げられた」に聴かれる、しみじみとした喜びを噛みしめるような音楽にはとても心打たれました。また、後のシューベルトを予告するような、心の奥底に突き刺さる「痛み」も時折感じ取ることもできたのは大きな発見でした。
オールトの演奏も、古楽器を使っているからと言って刺激的な表現に傾くのではなく、ハイドンの音楽の地肌のあたたかさを直接感じさせるような柔和な表情がとても好ましく、1時間近く退屈せずに愉しく聴くことができました。1795年のワルター製フォルテピアノの復元楽器は、時折、オルガンのような不思議な和音を聴かせつつ、優しい響きで耳を和ませてくれました。たまたま、前日にトゥルーデリーズ・レオンハルトさんの至芸ともいうべきシューベルトを聴いてしまったので、単純に較べてしまえばオールトの演奏に若干の不満もなくはないですが、まずはハイドンの音楽を楽しませてもらえただけでもとても嬉しいです。セットの他のディスクを聴くのが楽しみです。また、既に持っている弦楽四重奏版を聴き直したいですし、管弦楽版や合唱つき版も聴いてみたいと思います。
となると、インマゼールならこの曲をどう弾くだろうという妄想が頭の中をかけめぐり始め、春の演奏会、やっぱり行くべきかなあと思い始めています。折りしも今年はハイドン・イヤーということで、ブリュッヘンと新日フィルの連続演奏会などもあり、日頃あまり聴いてこなかった偉大な作曲家と触れ合う良い機会ですし。
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