『文藝春秋』2007年4月特別号○
津崎史/父・白川静96歳 最期の日々
来歴 [編集]
1923年、順化尋常小学校を卒業後、弁護士広瀬徳蔵(のち立憲民政党代議士)の事務所に住み込み勤務し、成器商業夜間部(現大阪学芸高等学校)に通う。このころ、広瀬の蔵書を読み漁り漢籍に親しんでいった。1935年京阪商業卒業。
立命館大学専門部国漢科(夜間)を1936年に卒業し、立命館中学校教諭に。その後、立命館大学法文学部漢文学科に入学。同大学予科教授となる。1954年からは立命館大学文学部教授を務めた。1976年に66歳で定年退職。1981年には名誉教授の称号を受けている。
1962年、博士論文「興の研究」で、文学博士号を取得(京都大学)。漢字研究の第一人者として知られ、字書三部作『字統』(1984年、各.平凡社)、『字訓』(1987年)、『字通』(1996年)は、白川のライフワークの成果である。
20世紀が終わる時期より、平凡社で『白川静著作集』(全12巻)、『白川静著作集 別巻』(全22巻予定、2008年から第3期)を刊行開始。傍ら中学・高校生以上の広い読者を対象とした漢字字典『常用字解』や『人名字解』、インタビュー・対談なども収録した『回思九十年』、『桂東雑記』(全5巻)などを刊行。他にも多数の共著・監修がある。
1999年3月から2004年1月まで地元京都で、「文字講話」を2時間年4回ペースで全20回行い、講演内容は『白川静 文字講話』(平凡社全4巻)にまとめられた。続編の希望が相次いだので、新たに4回行なわれた。
2006年10月初頭に、続編の著作校正を済ませ入院、同年10月30日、内臓疾患(多臓器不全)により逝去。享年96。(結果として遺著となった)『白川静 続文字講話』は、翌年刊行された。生涯現役を通した。
逸話 [編集]
- 白川の人となりは、自叙伝他の『回思九十年』[1]と、娘津崎史の回想記『父・白川静96歳 最期の日々』[2]に詳しい。
- 立命館大学教授時代、高橋和巳や梅原猛らと親交を持つ。特に高橋とは同じ中国文学者として互いに評価しあっており、作家でもあった高橋の最晩年に書いた『わが解体』に、当時無名の一教授だった白川が『S教授』として登場している。
- 著書の重厚な印象から怖い人だという印象を受けがちであるが、生前の白川に接した人によれば、茶目も飛ばすような軽妙な一面もあったという。若い人とも気軽に話をし、インタビューにも応じている。若手では宮城谷昌光を「勉強熱心だ」「あなたの文は清新でよろしい」と高く評価した。漫画家と対談するときには相手の作品をあらかじめ読んでおくなど、気配りの人でもあった。
- 荒川静香・イチローが好きで、イナバウアーの真似をしたこともあったと娘が述懐している。病床でもニンテンドーDSで囲碁・将棋を楽しみ、「なかなか定石を知っとる」と悦んでいたという。
- 趣味は囲碁・登山。囲碁は相当な腕前で、若き日に関西棋院でプロから指導を受けるなどしていた。アマ六段に二子であったと自伝「回思九十年」で述べているので、四段の腕前であったと推測される。呉清源の新聞碁なども相当収集していた。病弱だった体を登山で鍛えていたため非常に健脚であった。
批判 [編集]
- 白川は、甲骨文字や金文といった草創期の漢字の成り立ちに於いて宗教的、呪術的なものが背景にあったと主張したが、実証が難しいこれらの要素をそのまま学説とすることは、吉川幸次郎、藤堂明保を筆頭とする当時の主流の中国学者からは批判され、それを受け継いでいる阿辻哲次も批判的見解を取っている。しかし、白川によって先鞭がつけられた殷周代社会の呪術的要素の究明は、平勢隆郎ら古代中国史における呪術性を重視する研究者たちに引き継がれ、発展を遂げた。万葉集などの日本古代歌謡の呪術的背景に関しても優れた論考がある。
- 中国古代学者で東京大学名誉教授の加藤常賢(1894-1978)は、晩年講義で白川の『漢字』を罵倒していたといわれる。
- 最近の研究では白川静生誕百周年記念第4回白川静賞を受賞した久米雅雄による「福岡県三雲遺跡出土刻書土器の文字学的検討―伊都国祭祀の一断面―」(『立命館大学考古学論集Ⅴ』2010年5月発行)があり、白川静の文字学的到達点を印章・塼・木簡・銅鏡・碑文資料などから多面的・実証的・綜合的に検証し、特に白川の「口(さい)」の発見の真正性や有効性を帰納的に確認した「反批判」の「新しい試み」として注目されている。
学会の枠超え横断的に活躍
伝統的な漢字の研究体系に、考古学的、民俗学的な最新の成果を結合した業績は大きい。 漢字学と考古学とは学会 が別になっているが、白川さんは特定の学会の中におさまらずに、横断的に活躍した。 今でこそ漢字研究はある程度、 ブームとなったが、それはひとえに、白川さんが書いてきたことの結果だと思う。 敬服する大先輩だった。 (「朝日新聞」 2日付朝刊)