2011-01-24

ジャック=マリー=エミール・ラカン / Jacques Marie Émile Lacan



ジャック・ラカン

ジャック=マリー=エミール・ラカン(Jacques-Marie-Émile Lacan、1901年4月13日 - 1981年9月9日)は、フランス精神科医哲学者精神分析家

概要 [編集]

フランスの構造主義、ポスト構造主義思想に影響力を持った精神分析家。 フロイト精神分析学構造主義的に発展させたパリ・フロイト派のリーダー役を荷った。また、フロイトの大義派(仏:École de la Cause freudienne)を立ち上げた。
新フロイト派自我心理学に反対した。アンナ・フロイトの理論については、フロイトの業績を正しく継承していないとして批判し「アナフロイディズム」と呼び、「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)と主張した。

生涯 [編集]

初め高等師範学校哲学を学ぶが、転学しパリ大学に移り、そこで医学を学ぶ。卒業後は精神科医として働いていたが、徐々にフロイトの精神分析学に傾倒、さらにアレクサンドル・コジェーヴヘーゲル講義などに参加(ジョルジュ・バタイユも参加しており、当時友人であった。ちなみにバタイユは当時女優のシルヴィアと結婚生活をしていたが、1933には別居し離婚。その後、なんとこのジャック・ラカンと結婚する)、パリ精神分析協会に所属し、同協会の会長に選ばれるが、会長就任後、同協会に内紛が生じ分裂した。1964年に自ら「パリ・フロイト派」を立ち上げた。だが同派も結局1980年に解散することになった。1981年大腸癌により死去。

セミネール [編集]

20年以上にわたりセミネール(セミナー)を開き、「対象a」「大文字の他者」「鏡像段階」「現実界」「象徴界」「想像界」「シェーマL」などの独自の概念群を利用しつつ、自己の理論を発展させた。セミネールの開催場所は、当初はサンタンヌ病院であったが、後にルイ・アルチュセールの計らいによって、パリ・ユルム街の高等師範学校となった。参加者には、ラカン派の臨床家だけでなく、ジャン・イポリット(哲学者、ヘーゲルの専門家)、フランソワ・ヴァール(スイユ社編集者)などもいた。
アルチュセールはある時期まではラカンの業績を非常に高く評価していた。のちにラカンの娘婿となるジャック=アラン・ミレール(ラカンをして「唯一私のテクストの読み方を知っている人物」と言わしめた)はもとアルチュセールの学生であったが、ラカンの講義を受けてはどうかとアルチュセールに助言されたことがきっかけで、ラカンに接近することとなった。

著作物 [編集]

ラカンは基本的には「語る」人であり、あまり「書く」人ではなかった(つまりセミネールで語ることを中心とし、初期の博士論文を除いてまとまった著作を書くことをしなかった)。生前の著書として『エクリ』(Écrits、「書かれたもの」の意)があるが、この『エクリ』も時期を異にして発表された論文の集積であり、その多くは口頭発表の原稿である。なお、『エクリ』は邦訳が刊行されているが、日本語として読めるレヴェルの翻訳とは言えない。
ラカンの死後、ラカンの草稿・原稿類の管理はジャック=アラン・ミレール(ラカンの娘婿で弟子)が行っている。2001年になって、『エクリ』に収録されなかった論文を集めた『他のエクリ』(Autres Écrits)が出版された。近年になり、未公刊だったセミネールの内容が順次公刊されつつあり、日本での邦訳も進みつつある。

ラカン派のその後 [編集]

フランスではいわゆる「ラカン派」は、ラカンの死後、内部の分派抗争のためにさまざまの団体・派閥に分裂して活動することとなった。

フロイトの大義派 [編集]

いわゆる「正統派」は「フロイトの大義派」およびパリ第8大学精神分析学科を拠点に、ジャック=アラン・ミレールを中心とした分析家たちが研究と教育を通じて活動している。

国際ラカン協会 [編集]

ジャック=アラン・ミレールの教育分析を担当したシャルル・メールマンは別の団体国際ラカン協会(仏:Association Lacanienne Internationale)を設立し、「正統派」とは独立に活動している。

パリ精神分析セミナー [編集]

アルゼンチン出身のJ=D・ナシオ(フランス読みでは「ナジオ」)は、ラカンが信頼していたとされる僚友であるフランソワーズ・ドルトの協力を得てパリ精神分析セミナー(仏:Les Séminaires Psychanalytiques de Paris)を主宰し、独自の方法でラカン理論の再解釈を精力的に展開している。

世界精神分析協会 [編集]

フランス国外にもラカン派精神分析学の影響は及んだ。アルゼンチンブラジルなど南米方面では世界精神分析協会(仏:Association Mondiale de la Psychanalyse)が「フロイトの大義派」と連携しつつ活動している。

国際精神分析学会との和睦 [編集]

かつてラカンおよびパリ・フロイト派を「破門」した国際精神分析学会(英:International Psychanalytical Association)内部でも、ラカンを研究しようという動きもあり、以前の緊張関係は緩んできている。

ロンドン新ラカン派 [編集]

これと並行してロンドンにも新ラカン派(英:New Lacanian School)が旗揚げされ、「フロイトの大義派」と人的交流を持つに至っている。

諸概念と理論 [編集]

鏡像段階論 [編集]

1937年発表の初期ラカンを代表する、発達論的観点からの理論。
鏡像段階(仏:stade du miroir)論とは、幼児は自分の身体を統一体と捉えられないが、成長して鏡を見ることによって(もしくは自分の姿を他者の鏡像として見ることによって)、鏡にうつった像(仏:signe)が自分であり、統一体であることに気づくという理論。生後6ヶ月から18ヶ月のあいだに幼児はこの過程を経るとされる。
幼児はいまだ神経系が未発達であり、自己の「身体的統一性」(仏:unité corporelle)を獲得していない。平たく言えば、自分が一個の身体であるという自覚がない。言い換えれば「寸断された身体」のイメージ(仏:image morcelée du corps)の中に生きているわけである。
そこで幼児は鏡に映る自己の姿を見ることにより、自分の身体を認識し、自己を同定していく。この鏡とはまぎれもなく他者のことでもある。つまり人は他者を鏡にすることにより、他者の中に自己像を見出す(この自己像が「自我」となる)。
すなわち、人間というものはそれ自体まずは空虚なベース(エス)そのものであって、いっぽう自我とはその上に覆い被さり、その空虚さ・無根拠性を覆い隠す(主として)想像的なものである。自らの無根拠や無能力に目をつぶっていられるこの想像的段階に安住することは、幼児にとって快いことではある。この段階が鏡像段階に対応する。

現実界・象徴界・想像界 [編集]

詳細は「現実界・象徴界・想像界」を参照
人間は、いつまでも鏡像段階に留まることは許されず、やがて成長にしたがって自己同一性(仏:identité)や主体性(仏:sujet)をもち、それを自ら認識しなければならない。その際には言語の媒介・介入が欠かせない。
ラカンによれば、主体性は構造的に現実界・象徴界・想像界(仏: Réel symbolique imaginaireR.S.I.と略称される)という三つの領界もしくは機能から成るものであり、鏡像段階を経て人が主体性を獲得し、言語に介入されるということは、すなわち象徴界へと参入するということであるとされる。

父の名 [編集]

詳細は「父の名」を参照
さらに、このことは、想像界に安住するのを禁ずる父の命令を受け入れることであり、このことは社会的な法の要求を受け入れること、自分が全能ではないという事実を受け入れることと同義である。この父の命令にあたるものを、ラカンは、フランス語における「non(否)」と「nom(名)」をひっかけて父の名(仏:Noms-du-Père)と呼んだ。
したがって父の名とは、個別の具体的な父親の姓名を指すのではなく、人である限りすべての子どもに割り当てられ、彼らの行為に一定の限界をもうける、父性的機能のことである。いわば、象徴的なである。
ラカンは、このようなが、言語活動(仏:langage)によって生じるとする。つまり、象徴的な掟は、具体的に聞こえたり見えたりはしないものの、さまざまな形をとってわれわれの生活を制禦してくる。そのときわれわれは「自らの限界を思い知る」。
このことを精神分析学では去勢(仏:forclusion)と呼ぶが、去勢なくして言語活動の開始はないというのがラカンの立場である。

去勢と自己の確立 [編集]

詳細は「去勢」を参照
上記のことを言い換えれば、父の名を受け容れる過程は、幼児の全能性である「ファルス」(仏:phallus)を傷つけることという意味で、去勢(仏:forclusion)と呼ばれるわけだが、この去勢によって、人間は自らの不完全性を認め、不完全であるところの自己を逆に積極的に確立するのである。
逆に見れば、「これが自分だ」と自己を同定し、自我を確立するためには他者が必要だが、決してそこで真の自己と出会えるわけではない。人は常に「出会い損ね」ている存在なのだ。ここに人間の根源的な空虚さを見出せるとも言える。
このように、彼の言う「我、思わぬ故に我あり」は、フロイトの「エスがあったところに自我が生じなければならない」という警句の別言である。ラカンの鏡像段階論は、フロイトのエディプスコンプレックス理論をラカン流に読み替えたものなのである。

母子関係と言語 [編集]

ゆえに、母子関係から上記のラカン理論を、あくまでも一般的な理解のためにわかりやすくおおまかに言い換えれば次のようになる。
まず、胎児として子宮の内部に浮遊している状態では、人は「ママ!」という原初の言葉を持つ必要がない。だから言語活動は発生しない。 さらに、生まれてからも原初の状態を象徴的にいうならば、乳児の口には母の乳房が詰まっている。これは乳児の必要をすべて満たしているから、言葉を発して何かを求める必要もないし、そもそも口に乳房が詰まっているから言葉の発しようもない。いっぽう、これは乳児にとっては全世界を支配しているかのような快楽の状態である。
だが、やがて口から乳房が去る。そこに欠如(もしくは不在)が生まれる。欠如が生まれて初めて、乳児は母を求めるなり、乳を求めるなり、「マー」などと叫びをあげる。これは言語 - より正確には言語活動(仏:langage) - の発生である。
こうした象徴的な意味での言語の発生は、人間が人間となるためにどうしても通らなければならない段階である。言語とは、人間が自分の頭に思い描いているもの、すなわち想像的なもの(仏:l'Imaginaire)を他者と共有しようとしたり、他者に伝達しようとしたりするために用いる象徴的なもの(仏:l'symbolique)であるから、言語は象徴界のものであると云える。
いっぽう、社会はさまざまな人間がせめぎあう場であるがゆえに、無数の・契約・約束事などでできている。こうした掟は、象徴的な意味では言語で書かれているわけである。たとえば、不文律や「黙契」といった概念ですら、人間が言語を持たなければ存在しえない。また、掟を与えるのは象徴的なである。
ゆえに、上記の意味においては象徴界とは掟であり、父であり、言語であるといった図式が成り立つ。

言語活動と現実界 [編集]

たとえば、ある大事件に遭遇した人々は、口々にその事件を語る。これは、その大事件という現実的なこと、もしくは現実界(仏:le Réel)を、言語という象徴界(仏:l'symbolique)を以って描き出そうとしているわけである。証言者Aは事件の決定的瞬間を語り、証言者Bは事件の背景に秘められた事情を語るなど、あらゆる角度から証言がなされる。これらを集めて「事件の全容を解明しよう」という動きが起こったりする。しかし、マスコミ用語としては耳に親しい「事件の全容」なるものは、実際には語り尽くされるのは不可能である。
同じように、どうがんばっても言葉では現実そのものを語ることはできない。「言語は現実を語れない」のである。ところが同時に、人は「言語でしか現実を語れない」。これら二つの命題は、平板に見れば矛盾しているかのように聞こえるが、メビウスの輪のような立体的な論理として考えればそうでないことがわかる。
ゆえに人は、より的確な言葉を探したり、より多くの言葉を重ねていくことによって、少しでも現実に近いものを描き出そうと奮闘する。この誠実さは評価される。それでも、言語活動=現実となる瞬間はない。これが象徴界と現実界が分かたれる一面である。
すなわち、象徴界の参入という「言語との出会い」は、現実をラカンのいう「不可能なもの」(仏:l'impossible)に変える。われわれは一生、それに対する抵抗とあこがれの間で揺れ惑う。しかし人が事故的に現実を垣間見たり、現実に触れたりすることがある。たとえばそれは狂気である。

言語活動と想像界 [編集]

いっぽう想像界(仏:l'Imaginaire)は、たとえば「日常」「平和」「不幸」といった、人であれば誰しも漠然とイメージできるけれども、その正確な描写となると大変な労力を要するような、言語(象徴界)に縛られている世界であり、なおかつわれわれが思っているものから成っている。この想像界も、けっして現実界と一致することはない。
上記のように、現実界・象徴界・想像界が分かたれることから、ラカン流に人間世界を解明していくことが可能となるのである。

構造論的転回 [編集]

ラカンはローマン・ヤコブソンエミール・バンヴェニストらを通じて、フェルディナン・ド・ソシュールの構造主義言語学の影響を受けている。
ソシュールによれば、記号シニフィアンとシニフィエの対からなる。ソシュールはそのことを
\frac{SE}{SA}
と表記した。ラカンはそれを上下逆にし、SA→S、SE→sと記号を変えて
\frac{S}{s}
と書く。上下を逆にしたのはラカンの「シニフィアンの優位」という考え方に関係がある。ソシュールにとっても、シニフィアンの差異こそがシニフィエの差異を生みだすのだから、その考え方においてはソシュールとラカンは共通している。しかし上が下を規定する、というニュアンスからラカンはこの分数表記を上下逆にしている。
さらにラカンは、ヤコブソンの失語症研究より、失語症に見られる2つのタイプが、それぞれ隠喩換喩という修辞表現の対立と並行関係がある、との示唆を受ける。

シェーマL [編集]

シェーマL(仏:schéma L)は主体S、他者A他者a'自我aからなる。
Sは主体(仏:sujet)を表すとともに、エス(独:Es )も表す。Aは他者を表す。
a'は他者を表す。aは自我を表す。Aとa'は異なるものである。
主体Sと他者Aを結ぶ軸を象徴的な軸という。他者a'と自我aを結ぶ軸を想像的な軸という。

批判 [編集]

ラカンの理論は内容的にも難解ではあるが、それに加えて、語り口が逆説的で、晦渋な言い回しを多用している。今日、彼の理論の評価は二分されており、それを「疑似科学」とする見方もある。例えばジャック・ブーヴレスは、論理実証主義的な見地からラカンを批判している。またラカンは、自らの理論の解説のために数式風の表現を用いたが(彼はそれを「マテーム」と呼んでいる)、物理学者アラン・ソーカルらは、これが数学的には全くのデタラメなものであるとして、ラカンの数式風の表現は科学的な外観を装う粉飾だと批判した(参照:ソーカル事件)。

日本におけるラカン理論の現状 [編集]

2010年現在、岩波書店から次々とラカンによるセミネール原本の翻訳が進んでいるが、実際の治療の現場では、正直なところラカンは有効活用されていない。臨床家としてはラカン派の臨床例の少なさから、実際の臨床には有効活用にしくいという部分がある。
また理論自体、日本ではしっかりと研究されているわけではなく、主にその紹介が哲学者や人文学者などの、精神科医とは分野の異なる者が中心に取り上げている部分もあって、どうしてもラカン理論は哲学などの分野で魅力的に取り上げられるのが中心となっている。もちろん精神科医の中には精力的に研究する者もいるが、その内容自体も難解なままに留まっており、ラカン理論は臨床技法や治療理論としてよりも、人間を理解する一つの精神理論、もしくは哲学理論として重宝されているようである。
実際のラカン理論の有効性証明は現在においても不明なままである。日本の精神科医にはフランス語に熟練した人間がそう多くないという事も一因となっているのかもしれない。現代の精神医学においては、精神分析はその臨床使用においては科学的再検証や妥当性がしっかりと求められるようになっており、日本における紹介や普及がそもそも少ない現在においては、精神医学ではほとんど本格的に使われていないのが現状である。その証拠として、臨床心理学や発達心理学の教科書では、フロイトや自我心理学、カウンセリング理論は頻繁に取り扱われるが、ラカンの理論そのものが有用な医学の理論として紹介される事は稀である。むしろ彼は人文学系の教科書において構造理論や言語理論との関係で取り上げられるのが常である。
ただしその理論の独自性と共に不思議な面白さがあり、一部の人には根強い人気を保ちながら、現在も力強くラカン理論は日本において紹介され続けている。フランスでは現役で使われている興味深い精神分析理論ではあるので、現在もラカンの原本の翻訳が根強く待たれている。

著書 [編集]

邦訳著書(セミネール以外) [編集]

セミネール [編集]

  1. Les Ecrits techniques de Freud 1953-1954 (『フロイトの技法論(上・下)』岩波書店1991年
  2. Le Moi dans la theorie de Freud et dans la technique de la psychanalyse 1954-1955 (『フロイト理論と精神分析技法における自我(上・下)』岩波書店,1998年
  3. Les psychoses 1955-1956 (『精神病(上・下)』岩波書店, 1987年)
  4. La relation d'objet 1956-1957 (『対象関係(上・下)』岩波書店, 2006年
  5. Les formations de l'inconscient 1957-1958 (『無意識の形成物(上・下)』岩波書店, 2005年2006年
  6. Le desir et son interpretation 1958-1959
  7. L'ethique de la psychanalyse 1959-1960 (『精神分析の倫理(上・下)』岩波書店, 2002年
  8. Le transfert 1960-1961
  9. L'identification 1961-1962
  10. L'angoisse 1962-1963
  11. Les quatre concepts fondamentaux de la psychanalyse 1963-1964 (『精神分析の四基本概念』岩波書店, 2000年
  12. Problemes cruciaux pour la psychanalyse 1964-1965
  13. L'objet de la psychanalyse 1965-1966
  14. La logique du fantasme 1966-1967
  15. L'acte psychanalytique 1967-1968
  16. D'un Autre a l'autre 1968-1969
  17. La psychanalyse a l'envers 1969-1970
  18. D'un discours qui ne serait pas du semblant 1971
  19. ...ou pire 1971-1972
  20. Le savoir du psychanalyste 1971- 1972
  21. Encore 1972-1973
  22. Les non-dupes errent 1973-1974
  23. R.S.I. 1974-1975
  24. Le sinthome 1975-1976
  25. L'insu que sait de l'une bevue s'aile a mourre 1976-1977
  26. Le moment de conclure 1977-1978
  27. La topologie et le temps 1978-1979
  28. Dissolution 1980

外部リンク [編集]

関連項目 [編集]